『創価学会・公明党をブッた斬る』藤原弘達著から

”創価学会の[集団替え玉投票事件]がそれだ。四十三年七月の参院選東京地方区で起きたものである。十万通の投票入場券がどこかにまぎれこみ、有権者の手許に届かなかったことが発見されたのだが、一方で、他人の入場券を使い替え玉投票しようとする者が、各地に現れた。東京では五万票が替え玉投票された疑いも発生、その多くが創価学会関係者による計画的犯行で、東京のほか五道県の摘発が始まった。”
 ([雑木]管理人の注: この”替え玉投票事件”は、検察が創価学会=公明党に働きかけられて、結局インチキをして事を収めてしまった。もしこの時検察が、ごく普通に職務をまっとうしていれば、現在公明党も創価学会も存在していなかった。当時の検察は、実に罪深いことをしたものだと思います。ことわっておきますが、僕はいかなる宗教団体にも属していません)

”ざっとみただけでも、公明党が保守、革新、中道と揺れ動く時は、党勢の消長、保革の力関係、社会情勢の動向とパラレルだ。保守、革新、中道を往きつ戻りつは、いかにして第三勢力として割り込み、キャスティング・ボードを握るかの日和見のみである。”

”前章にみたとおり、公明党路線の振幅の大きいこと、「右往左往党」「世論調査党」「ジグザグ路線党」の異名がつけられているほどである。
 なぜ、そのようにジグザグコースをたどるのか、いま少し、その時々における変転ぶりを検証してみる。”

”要するに、公明党の[変わり身]の早さは、進歩でも前進でもない。時流の表面だけを見るものの、底流は考えない。政党として現実変革の意志などあるわけはないから、現実追随のためには百八十度方針大転換は、朝メシ前だ。路線転換の理由、自己批判は一切、この党には無用である。”

”ところが、五十六年に、創価学会に対する恐喝事件で逮捕された元学会顧問弁護士・山崎正友が、最高裁第一小法廷に提出した上申書が、右の噂を肯定していた。
「隈部氏を告訴するにあたっては([月刊ペン]事件。創価学会の全面敗訴で終わっている。それどころか、裁判審理中に学会は裏で[月刊ペン]社に三千万円の示談金を持ち掛けたと言われる)、矢野公明党書記長、大野潔代議士、小谷三郎弁護士、竜年光、藤井富雄、大川清幸各都議らが法務省幹部、検察庁幹部、警視庁幹部とめんみつな打ち合わせをしました。衆、参両議院法務委員長の権限を背景に法務省筋に圧力をかける一方、東京都議会におけるキャスティングボードを握る与党としての力、即ち警視庁予算を左右する力を背景に警視庁に圧力をかけたのであります。告訴にあたっての条件は、隈部氏を即刻逮捕すること、及び池田大作氏を法廷に証人として立たせないよう配慮することの二つでありました・・・・・」
 この上申書にいう[隈部即刻逮捕]は、事情聴取後逮捕となった。名誉毀損で逮捕というのは理論上はありえても、実際には考えられない。にも拘らず、隈部の逮捕は行われた。なお、創価学会、池田大作会長の名誉毀損告訴は、警視庁の捜査二課ならぬ捜査四課であった。捜査四課は暴力事件担当部署というから、奇妙な話だ。”


創価学会問題メモ